人にものを教えるということ

先日ご近所さんに家庭教師を頼まれた。学部で4年間塾で教えていたこともあるし、人にものを教えるのは好きなので(人間には他人に対してものを教えることによって自分の欲求を満たす側面があると思う)引き受けたのだが、思えば自分が高校数学をきちんと細部まで学んだのは、大学に入ってからだった。高校時代は数学は苦手だったし、浪人時代もそこそこ解けるようにはなったものの、得意科目というわけではなかった。工学部の二次試験科目のうちで得意だったのは物理のみ。なんで大学に入ってからできるようになったかというと、塾で教える機会が増えたからだった。


@mamorukさんの日記電子媒体で読み書きすると記憶に残らない - 武蔵野日記にどうしたら内容が頭に残るかという話が書いてあったのだが、僕は電子的に読み書きしても手で読み書きしてもなかなか記憶に残らなくて、人に教えたり、人から誤りを訂正されたりして初めて頭に残るような学習効率の悪い人間なので、何か読んで得たことを他人にわかるように説明しなければならない論文紹介のような機会は非常に都合が良い。どう説明すれば他人にわかるか、と考えることが、自分の中でも内容の咀嚼に繋がるからだ。


米国で講義中のPC使用が禁止が議論されたり、PCでノートを取っても学習効率は手でノートを取るより下がるという話が出ているそうだが、本当に機器のせいなんだろうかというのは僕個人としては疑問である。まあ内職をしてしまって内容が残らないのは論外だが、電子機器にせよ、ノートにせよ、人間が使うためのツールであり、世の中を便利にするために先人が積み重ねてきた知恵である。それが人間を馬鹿にするというより、人間がツールに振り回されているのが一番の問題ではないか、というのが僕の感じたことなのだが、どうなのだろうか。結局は何事も使いどころだし、その人がどう育ってきたか、どういう学習のプロセスを持っているかに依存するかと思う。そのうち、小学生からPCを使っていて、我々がノートを使うようにPCを使う世代というのが出てくるのではないだろうか。


しょうもない日記書いてすみません。