SFCについて考える

あけましておめでとうございます。正月寝過ぎた結果、昼夜逆転して困っております(いきなり


先日ブックマークした、慶應商学部の方がSFCについて書いた記事 意識の高い学士ブログ : 僕がSFCを嫌う理由 を読んで、卒業生として思うところを書いてみることにしました。


最初に断っておきますが、そもそも僕はSFCを目指してSFCにいったわけではないです。単純に国立に落ちてSFCに入っただけです。そういう意味で、リンク先のブログに書いてあるような、高校生時代に「SFCってすげー」となってSFCに入った人とはまた意見が異なるかもしれません。


SFCは「実践的な知」を教える「先進的な」キャンパスである。


この理念は素晴らしいと思います。大学教育が硬直化したであろう過去には、この理念を掲げた教授陣や学生が素晴らしい環境で学び、人材が輩出されていったのだろうと思います(過去に学んだ人の話を聞く限り)。


しかしながら、僕が学んだSFCではこの理念に引っ張られ、根源的な問題を置き去りにしているように感じられました。件のブログにもある通り、SFCには教養課程というものがありません。その結果、「先進的な学問を行うためには、既存の学問の枠組みを踏み越えねばならない」という学問の大原則を置き去りにしたまま、進んでしまう学生さんが増えてしまいました。そうしたことにより、現実性や学問としての基礎を押さえられていない主張を声高に行う、いわゆる「バンドメンバーギターベースドラム募集当方ボーカル」状態の変な方向に意識の高い人や、先ほどのブログの著者が書かれているような、視野狭窄に陥ってしまっている人、車輪の再発明をしている人が増えてしまったと感じています。


確かに、SFCの理念は素晴らしいし、そのカリキュラムも良く出来ています。学生生活の前半に取るであろう導入的な授業は新しい発見が多かったですし、自分が決めた目標に対して組む時間割はおもしろかったです。


しかし、自分がカリキュラムを全て組むということは、自分が目を向けないものに対しては意識を振り分けないということですし、視野を広げるチャンスを失ってしまうということでもあります。また、普通の大学であるような、「これを学ぶためには前提授業としてあれとこれが必要」で、それらがカリキュラムに組み込まれているという判断を自分自身でしなければなりません。これは、18で入ってくる大学生には少し荷が重いのでは、という意見には私も同意します。これらの結果、3,4年になってもまだ何をしていいかわからない、何も身に付いていない、ひいては間違った主張をしている学生を量産してしまっているように見えます。


僕がこのあたりに気付けたのは、研究会(研究室のようなものです)で2個上の先輩に出会えたことが大きかったです。SFCの言う「実践的な知」の本質が、多くの場合何も指していないということを、教えられたように思います。


結局、修士に行く時に外の大学院に出ましたが、その理由は「自分がしたい研究を学べる研究室に行く」ということの他に、「ここにいては2年後外の人間と戦えない」ということを肌で感じたからでもあります。


SFCを卒業した、あるいはこれから卒業するという人に聞いてみたいのは、「SFCで何を勉強して、何を身に付けた?」ということです。うまく答えられないという人、結構多いんじゃないでしょうか。リンクしたブログでコメントしている方がおられるように、「SFC生自身がSFCについて考える」ことが必要な時期にきているのだと思いますね。


別にSFCの存在価値を否定するつもりはありません。SFCでの学生生活は楽しかったですし、あのキャンパスに集まってきた意識の高い人たちには、それなりに刺激も受けました。元々かなり内向的、内省的な性格だったものが矯正されて、良かったとも感じています。

あとは、沢山学部がある中で、1つくらいはああいう学部があってもいいかなぁ、と。


去年の関西合同ゼミやIME飲み会で意外とこのブログを読んでいる人が多いことを知ったので、多少は意識しようと思ったのですが、いきなり変な感じのエントリーになってしまいました…
新年早々まとまりのない日記になりましたが、読んでくださっている皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。